人混みよりも恐い飴

気づき

柿生~新百合ヶ丘間で、車と電車の接触事故。
町田~新百合ヶ丘間の電車が止まった。自宅のある玉川学園前までのバスは無い。タクシーで帰るしかない。

ということで、町田駅でタクシーを待ちました。20人くらい並んでいたでしょうか?
今日は、昨日よりもグッと気温が下がり、寒い!しかも、タクシーが全然来ない!

以前にも同じ事がありました。人身事故でした。
もっと長い行列で、寒くは無かったけど、やはりタクシーがなかなか来ませんでした。後ろにいた女性が玉川学園の先の新百合ヶ丘まで行くという事で、私達は一緒に乗ることにしました。後ろの人にも声を掛けてみると、もう一人、新百合ヶ丘まで行くことに。
『良かったー』と、3人でタクシーに乗り込み、私は玉川学園前で先に降りました。もちろん、そこまでのタクシー代は払いましたが、その先の運賃はあとで2人が払います。私のタクシー代は変わらないけど、残りの2人は割安になったはず。待つ時間も少なく、タクシー代も助かる。

そこで、今回も声を掛けてみました。でも、後ろの女性は南大沢。方向が違いました。ただ、彼女は相乗りに全く興味が無い様子。その後ろの女性にも声を掛けてみましたが、『玉川学園じゃないので・・・』と、明らかに迷惑そうな様子。何でだろう?と不思議に思いながらも、私はその後ろの人には声を掛けるのをやめました。

私は一人でタクシーに乗り込み、残った人たちは、あとどのくらい待つんだろう?寒いだろうな?と考えながらも、タクシーの運転手さんに先程の話しをしてみました。
すると、『良いと思って声を掛けても、この時期だからねー』
コロナの前は、自前で飴などを用意し、子供が乗った時などは喜ばれたそうです。でも今は、一緒にいる親が『要りません!』と言うそうです。お金の受け渡しも嫌がり、おつりはお財布を出し、『ここに入れて下さい。』あるいは、電子マネーをあえて使うそうです。
私は、ただただ『へえーっ』と驚くばかりです。
タクシーを待っていた人たちは、JRから小田急線へ乗り継ぎ、あるいは町田の人混みの中で買い物をしたり食事をしたり、とにかく多くの人が行き交う町のど真ん中にいました。タクシー乗り場の前にあるバスターミナルにも沢山の人がバスを待っていました。電車が止まった駅の改札口にも沢山の人が群がっていました。

漠然とした対象である物にはコロナの菌がなく、心のこもった運転手さんが用意した個包された飴一つにはコロナの菌がある、そう思うのは何故なんだろう?と、とても不思議です。
『なんか淋しいですねー』と言うと、タクシーの運転手さんも淋しそうに笑っていました。

玉川学園前の駅に着くと、いつもは誰もいない駅前のタクシー乗り場には沢山の人が並んでいました。『家近いので、駅の前で大丈夫です。』と言って、駅前で降ろしてもらいました。

ここからも一人ずつタクシーに乗るんだろうな?みんな、どのくらい待つんだろう?きっと、周りの人と一緒に乗って帰る人はいないんだろうな?と思いました。

コロナが無くなったら、何かが変わるのかな?と、ふと心配になります。家庭サービスをするお父さんが増えたり、一人キャンプを楽しむ人が出てきたりと、楽しい話しもありますが、コロナのせいで、周りの人との関わりが薄れてきたのも事実です。そういえば、私の母もコロナを懸念して、公共機関や遠出を嫌がるようになりました。
コロナが無くなったら、また以前のようになるのかな?・・・なんとなく、今の新しい習慣がそのまんま残りそうな気がします。

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