ひとが神を忘れたとき ~祈りの本質~

気づき

ニール・ドナルド・ウォルシュ著 『神との対話』より

私は何となく、最近あんまり順調じゃないなと思う事がある。
好ましくない”あんなこと””こんなこと”が、周りにも自分自身にも起こる。そして、何故なんだろう?何が上手くいかないんだろう?私の何がいけないんだろう?と何日も考えて、挙句答えが見つからない。そこで寝る前に毎日必ず祈る。一通りの感謝をしてから、『〇〇出来るように助けて下さい。』『○○へ私を導いて下さい。』自分勝手な祈りにならない様に気を付けながら、願いを神様に伝える。。

この本の中で神様はこうした祈りに警笛を鳴らす。
『私たちは求めたものを手に入れることは出来ないし、欲しいものを得ることもできない。求めるというのは、自分にはないと言いきる事であり、欲すると言えば、欲することを現実に体験することになる。だから〇〇さんは今これが欲しい、つまり○○が無いんだなー、とその言葉通りに受取る。
したがって、正しい祈りとは、求めたりすがったりするのではなく、感謝することである。』

あたかも欲しいものが手に入ったかのように前もって感謝するのである。では、もし、結局は欲しいものが与えられなかった場合は?と神様に対して質問を続ける。

それに対し、『感謝は神をあやつる手法ではない。宇宙をごまかす仕掛けではない』
口先だけで感謝しても、内心、願いが満たされていないと信じていたら、神はあなたの信じる通りにする。

では、どうやって、そこに”ない”とわかっていることに心から感謝できるのか?

神は、『信念だ』という。『けし粒ほどの信念があれば、山を動かすことが出来る』という。
『そこにないとわかっている』というときは、実はあなたが最も強く信じている思考や言葉、感情があなたの思考を陰でコントロールしている、という。

全ての人には潜在意識が存在している。親や環境、学校などで培ってきた、ある意味そのひとの思考や言動の源になっている意識。他人には見えない、見せたくない、その人の秘密である。
その秘密を隠して、『信念を持つこと』が如何に難しいか私にはわかる。今日『確か』だったものが、明日には『不確か』に変わってしまう。私はいつもそれに振り回されてきた。

今起こっている問題、過去に起こった問題には繋がりがあっても、その糸はぐちゃぐちゃに絡まり、出口の見えない迷路のようになってしまった。
何故か?
昔あった、私にとって絶対的な存在。幼少期には親がいる。どんな親でも子供にとっては絶対的な存在である。ところが、親から独立し、全てが自分の意識下に置かれると、私を振り回す潜在意識が私の絶対的存在になってしまった。でも、私の潜在意識は優柔不断で浅はかだ。
私には『信念』を持つための、絶対的存在が無かったことに気がついた。
服従するのではない。
ただ、時々上を見上げた時に、そこにいて私の進むべき道を照らしてくれる存在。
どんな時でも私を見捨てない、『愛』そのものである存在。

これが、『神』。

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