子供が4歳だったとき、身体に大きな火傷を負いました。
夏休みの最初の日曜日、私は上の二人の子供が学校で履いていた上履きを洗ってしまおうと、お昼に食べる予定のそうめんを茹でる為、大きな鍋にお湯を沸かしながら、お風呂場で靴洗いをしていました。
しばらくすると、突然台所から 『ギャアー』という声が。
4歳の三男が床に這いつくばって歩き回っていました。
鍋は下に落ちていました。
何が起きたかすぐに分かり、家に居た夫が子供を抱えてお風呂場で水をかけている間、私は救急車を呼んでいました。救急車が到着する間、夫に抱っこをされている三男の前で何も出来ず、ただオロオロしていました。
抱かれながら三男が言った言葉。今でも忘れません。
『ママ、ごめんね。』
『ううん、そんなこと言わないで。ママこそごめんね。』と涙が止まりませんでした。
救急車が到着し、根津神社の近くにあった大きな病院へ向かいました。
処置はICU室でされ、2~3日後には大部屋へ移されました。
私は片道一時間かけて毎日子供にあいに行きました。
何もすることが無くても、ただ一緒にいて、面会時間が過ぎてから病院を出ていました。
あるときから、私が帰るときの子供の態度が変わりました。
帰る時間が近づくと、子供はテレビに目を向けて、じっと動かなくなります。
話しかけても、気のない返事。
私の顔を見ようとしません。
帰る時間になり、『じゃあ、ママ帰るね。明日また来るからね。』と言うと、テレビに目を向けたまま、『うん』と言ってくれます。
私は知っていました。
子供は寂しいのを我慢している。
『ママ、帰ったらイヤだ』と言いたいのを我慢している。
だから、私の顔を見ないんだ。
私は昔、自分が入院し、私の寂しい顔を見るのが辛いから、と暫く病院に母親が来てくれなかった事を思い出しました。
そして、私は絶対に『辛くても、病院に行く』と、毎日毎日子供に会いに行きました。
何も言わず、何も聞かなかったけれど、子供の優しさが私の身体に浸透しました。子供に対しての愛おしさが、私を満たしていました。
三男はこの時の事を覚えているのでしょうか?
辛かった思い出になっているのでしょうか?
それとも、寂しかったけど頑張った、ポジティブな思い出になっているのでしょうか?
その子も今は30歳過ぎ。独立し、立派になりました。
優しい、でも芯のある大人になりました。結婚はまだですが、彼女をとっても大切にしています。
私は、これまでも、これからも、ずっと彼を応援していきたいと思っています。
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