私の課題
私は自分の考えが強く、自分が絶対に正しい。相手が間違っている。そして相手との関係の中でもそれを貫き通す、そうゆう姿勢で生活を送ってきました。
離婚を経験し、女手1つで三人の息子を育て、彼らが皆大学・大学院まで進み仕事に就き立派になった事で私の自尊心(プライド)はマックスに達していました。子供達が離れ、一人で生活していく中でも私のプライドはずっと続き、その後の人間関係や仕事上にも大きな影響があったのではないかと思います。数々のトラブルがありましたが、それら全てを大きな問題とは捉えず上手く切り抜けてきた自分を評価してきていました。
今思うとそれら全ては『私が気づくように』と神様が与えてくれたチャンスだったのかもしれません。
私は大切な人に酷い仕打ちをし、その人を失う事で自分が大きく方向を変えなくてはいけないことに気づきました。その人は私を信頼し、最後の最後まで自分が信じている女性として接してくれていました。それなのに私は相手の言葉や行動だけに注意を払い、自分の言葉・行動を野放しにしてしまいました。結局は『本当はこうゆう人間なんだ』と相手に結論を出させてしまい、結果その人を失う事になってしまいました。
昔私は教会に通い、『謙虚で慎ましい行動』をいつも心がけていました。真面目に学び、人の嫌がる事を率先して行い、相手を敬う気持ちを大切にしていました。離婚、子育て、長時間の労働など様々な経験をした中で私は自分に対しての自信を持ち過ぎるようになってしまいました。やれば何でもできる!それが私の信念になっていました。
今私はスピリチュアルライフコーチの道を勉強しています。人は宇宙の法則の中で予め計画された大きな出来事を経験し、それを通して魂レベルで成長している。人は生を与えられた時から目的を持ち、その人生の中で解決すべき課題を持っている。そしてそれを解決するまで、その出来事は何度でも繰り返される。
全ての出来事に意味があるように、私はこの辛い経験から『謙虚に生きること』を再認識しました。謙虚に生きるとはどうゆうことか?謙虚な気持ちはあるがままを素直に受けとめ認めること。そして共感することだと思います。人は異なる考えを持っていても共感することはできます。ではあるがままを素直に受け止め、認めるには何が必要か?それは相手に対する愛です。私は自分をひたすら下に置き、ただただ頭を垂れる事が謙虚さだとは思いません。自分のあるがままを認め、愛し、感謝して、初めて他人にも同じように出来るのだと思います。自分らしくある事、本当の自分を知る事こそが、まず最初にやるべき事だと思います。ふと思い出しました。小学校の教室の壁にみんなの夢が貼ってありました。私の夢は『何でものびのびやってみたい』でした。家で母親に言われた事があります。『あなたらしいね。』
これまで私は自分なりに一生懸命生きてきたと思っていました。でもきっと自分らしさを忘れ、自分を愛せなくなっていたんだと思います。だから大切な人をあるがままに受け入れる心のスペースがなかったんだと思います。
ずーっと昔、子供の時の本当の自分、素直な自分をもう一度思い起こし、『何でものびのびと』、そして大切な人が心に傷を負って私に教えてくれた『謙虚な心』が私の課題です。
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