素直であること

気づき

私は以前、『素直になりなさい』と言われたことがある。
どちらかと言うと自分は素直な方だと思っていた私は、「でも・・・」と言って反論した。

仏教には『日常五心』という言葉がある。人が大切にしたい5つの心掛け。
・『はい』という素直な心
・『すみません』という反省の心
・『どうぞ』という献上の心
・『私がやります』という奉仕の心
・『ありがとう』という感謝の心

どれも年齢を重ねてこそ成しとけるべき事なのに、年齢を重ねてこそ出来なくなってくる。
長い年月をかけ、心の中に巣くってきた「プライド」や「見栄」や「意地」のせいで、
「でも・・・」を連発している。私も同じ。

『素直になりなさい』は耳が痛い。自分が素直でない事を認めるのは辛い。なぜか?
それは、素直な事が良いことだと知っているから。自分も素直な人になりたいと思っているから。

日常五心の一つ、『はい』は知恵の言葉。
今ある状況、今の自分をそのまま受け止め、受け入れる言葉。相手の言葉の本当の意味を理解するために、まず最初に自分の中で咀嚼するための魔法の言葉。

実業家として有名な松下幸之助は「素直な心」をこう言っている。
「素直な心とは、寛容にして私心なき心、広く人の教えを受ける心、分を楽しむ心である。また、静にして動、動にして静の働きのある心、真理に通ずる心である。」

人は生きていく上で観念を持つ。その『観念』でものをいい、行動することによって対立や誤解、不和が生じる。素直な心とは “とらわれない心”。つまり、誰に対しても何に対しても耳を傾けすべてに学ぶ謙虚さ、一切を許し入れる寛容さ、物事の真意を正しく見、その価値を正しく認識して道理を知る心が素直な心なのである。

素直になるとは奥が深い。考えると難しい。
だから、まず、『はい』と言ってみようと思う。『はい』と言って、素直な自分を創造し、それから素直な心を知ろうと思う。私は『はい』と言える人、だから『素直な人』に違いない。と自分自身を創造する。

『素直な心』は日常五心の中の一つ。まだ他に4つの心が残っている。
私の学ぶべき事は、まだまだ沢山あり過ぎる。

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