父が死んだ理由が分かった。
37年前、私が高校2年の時、父が交通事故で亡くなった。
私は当時バプテスト教会に通う、敬虔なキリスト教の信者だった。家族の中で唯一のクリスチャンだったが、父は私の言葉に耳を傾け、私を理解しようと努力してくれた。教会に行く替わりに平日の夜宣教師宅へ二人で出かけ、そこで聖書について学んでくれた。私は父も救われるようにと一生懸命に祈った。
ある日、父は突然亡くなった。
自動車事故だった。朝方だった。
それからずっと、私は神様に『何故父が死んだのか?』と問い続けた。答えが無かった。
教会の人たちも誰もかれも答えてはくれなかった。私は教会に行くのを辞めた。
それからもずっとずっと、私は答えを探してきた。
37年経った今でも、父の話をすると涙がでる。
愛する人を失った人がいると、そっと側に寄り添い、心の中の無くならない深い悲しみを共有した。
『人の悲しみを心から感じる事でその人に寄り添う』、これが私の答えになっていった。
ある時から私はニール・ドナルド・ウォルシュが書いた『神との対話』に出会った。
この本を読んで、父にとっての死の意味を改めて理解する事が出来、それは私にとっても永遠に続く悲しみだけでなく、喜びでもある事を知った。全ての人は魂として神から生まれ、全ての魂はその成長の為肉体に宿り、人として生活している。魂の成長はその経験を通し、自分が神の一部である事、また自分は愛によって出来ている事を思いだす事。全ての魂は何度も何度も肉体を変えながら その時々で様々な経験をし、神と一体になる為の成長をしている事。
したがって死は終わりではなく、魂が次の段階に行くための準備であり、その魂が自分で決めたのだという事。
私は初めて、死んでも尚繋がっている事。
死は終わりではなく、罰でもなく、苦しみでもなく、永遠の別離ではない事。
父の体にいた魂は今も本当に生きている事を知った。
今も父を思うと涙がでる。
ただ私の涙は変わった。
孤独で寂しい涙ではなく、温かく、私を愛で満たしてくれる涙になった。
私は37年たって初めて父の死の意味を知った。
そして本当に、本当に答えは見つかる事を知った。
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