通勤途中の乗換駅 町田駅、私の住む町 東京都町田市
実は明治時代まで三多摩(西・北・南多摩)郡は神奈川県に属していました。
当時、東京都が玉川上水の水源を確保するために川が流れる西・北多摩郡を東京都に移管する案がありましたが、町田市・八王子市・多摩市・稲垣市・日野市を含む南多摩郡は対象ではありませんでした。
ここに政治的な要因が加わり、南多摩郡を含む三多摩郡全てが東京都へと移管されました。
三多摩では当時、板垣退率いる率いる自由党の勢力が強く、「多摩は自由党の砦(とりで)」と表現されるほど、自由党が支持を受けていました。
東京府知事は当初、玉川上水の水源確保だけを目的としており、また自由党の強い勢力に否定的だったこともあり、二多摩の移管のみを望んでいましたが、神奈川県知事である内海氏が『歴史的に三多摩はつながりが深いため、南多摩を切り離すことは民意に背く』と強く主張し、当時の総理大伊藤博文により、南多摩を含む三多摩全てが移管されました。
小学校の頃、電車に乗って町田にある塾に通っていました。私が当時住んでいた相模原に比べて、町並みがごちゃごちゃしていて、夜は少し怖いイメージがありました。
でも、今は全く違う印象を持ちます。
歩道は綺麗に整備され、お洒落な学生さんやOLさんがスターバックスでお茶をし、小綺麗な主婦たちがデパートで買い物を楽しんでいます。素敵なレストランも沢山出来ました。
外見だけではなく、駅の構内には季節ごとの心使いがありました。もうすぐ七夕。笹を飾って、『願いことを自由に書いて下さい』と紙とペンが置かれていました。最初に見た日は、何となく気恥ずかしくて素通りしましたが、帰宅後『やっぱり書いてみようかな』と考え直し、翌日行ってみましたが、笹はありましたが紙とペンは無くなっていました。『締め切りかな?』と思いながらも、昨日書けば良かったな、と少しもったいないことをした気がします。
木の周りから水蒸気を出して、夏の炎天下で涼めるようにしてくれていました。
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