心のマスターになること

ライフコーチ

時々私自身の中のある感情が私を苦しめる事がある。経験したことによって残ってしまった、怒り・憎しみ・悲しみ・嫉妬、そして最後にはいつも『苦しみ』
本を読んだり、セミナーに参加して素晴らしい講義を聞く。そして「そうか!」と気づきをもらい、清々しい気持ちになる。でも、時々その感情は戻ってくる。道路を歩いているとき、仕事をしているとき、寝るとき、それは何の前触れもなく『ふっ』と蘇る。そしてそれは、昨日の事のように鮮明で、私を苦しめる。

私は今日もいつものように瞑想をし、「どうしたらこれらの感情を本当に手放す事が出来るのか?」
と自分自身に問うてみた。答えは何も浮かばなかった。長い時間瞑想をしたあと、YouTubeをつけてみた。一番先頭に《『心のマスター』になる方法》が表示された。不思議だな、と思いながら聞いてみた。

ある人がお寺の和尚に質問していた。
マイナスの感情が起こったとき、頭ではそれは良くないと分かっているのに、なくすことが出来ない。受け止めてあげれば良いと聞き、その通りにしたが上手くいかない。そもそも感情が思考よりも強いものなら、何を言おうが自分には感情をコントロールすることが出来ないのではないだろうか?

それに対して、和尚からの答えがあった。
この問題は人間が古今東西ずっと突き当たってきた問題だという。この感情の問題に2600年近く前のインドで命がけで取り組んだのがお釈迦様だという。29歳の時に妻と子がありながら、突然出家し、長い間苦行を自身に課した。しかし、答えは見つからず、ついには『答えが見つかるまでは自分はここから動かない』と言って菩提樹の木の下で座禅を行い、35歳でようやく悟りを開いたのだそうだ。29歳から35歳の間徹底して、この人間の感情の問題に取り組まれた。

現在は様々な情報が簡単に手に入り、簡単に○○できる方法、楽に○○が学べる方法などと言って沢山の書物も出ている。
仏教には『シッカー』という言葉がある。これは『学ぶ』という意味だが、単に知識を得ることではない。仏陀の教えでは、人間が学ぶべきは三蔵であり、『三蔵(戒学・神学・慧学)を学ぶとは学習することではなく、行動と言葉が悪くならないように自分を律す「戒学」と呼ばれる教えと、「心学」と呼ばれる心の部分と、そして「慧学」と呼ばれる動物が知らなければならないことを知るための熟慮、それらの教えで本当に行動すること』である。
つまり、学ぶこととは単に知ることではなく、自身の言葉と行動を律し、管理し訓練された心で、人生の問題、あるいは人生に必要な問題の真実を洞察するまで熟慮を重ねること、簡単に言えば、何が苦の原因で、どうすれば苦を取り除くことが出来るのかを見つける事だという。
これらの訓練において瞑想が非常に有効だという。

ある人がした質問、私がしていた質問はそもそも簡単に手に入るものではなかった。人間が大昔から探し求め、人生の多くの年月をかけ心を尽くして、やっと手に入れてきたものだった。繰り返し繰り返し練習し、少しずつ少しずつ身につけていくことだった。人によってスピードは違う。でも、それを本当に手に入れたいのなら、手に入れるまで諦めてはいけない。繰り返しの鍛錬を怠ってもいけない。

武道の世界にも『心・技・体』という言葉がある。まずは身体を整え、技術を磨き、そして精神を鍛える。つまり、精神を鍛えることが如何に難しいか、どれだけの鍛錬が必要かを説いている。

様々な学習や情報から得た知識は、私に『簡単に手に入るという錯覚』を起こした。私が私の心のマスターになるには、まだまだ長い時間がかかりそうだ。でも、それを手に入れることには大きな価値がある。そして、それに費やす私の時間、一瞬一瞬もまた、大きな価値を持つことになる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました