『ひとが人間関係で犯す最大の過ち』は、相手が何を望んでいるか、何者なのか、何をしているか、何を持っているかを心配することだ。
そうではなく、考えるべきことは、自分が何者なのか、何をし、何をもっているのか?自分は何を望み、何を必要とし、何を選択するのか?自分にとっての最高の選択とは何か?だ。
ニール・ドナルド・ウォルシュの『神との対話』での一説である。
私はこの本を繰り返し、繰り返し読んでいる。読むたびに新しい一説が私の心に突き刺さってくる。染み込んでくるのではなく、突き刺さる。
最大の過ちを犯した後には何が待っているのだろう。最大の過ちを犯した後、私はどうしたら良いのだろう。
私はまた間違いを犯しそうなった。
そうではない。
私が最大の過ちを犯したのは、それまでの間気づかなかったからだ。私は最大の過ちによって、やっと気づかせてもらった。
『何が待っているのだろう?』・・・まだ起こっていない未来を恐れる必要はない。私は自分で未来を創造することが出来る。
『私はどうしたら良いのだろう?』・・・私は知っている。私は自分がどこから来たのか、どのように生きてきたのか、何を望んでいるのか、何を選びたいのかを知っている。私は未来の自分を創造する事が出来る。
私はこの本を繰り返し、繰り返し読むことによって、このことを教えてもらった。全ての応えはいつも自分の中にあることを教えてもらった。
後悔や罪悪感で心をいっぱいにするよりも、間違いに気づいたことに感謝しよう!
間違いを犯した自分を赦し、自分の中の一部として受け入れてあげよう!
これからも永遠に続く魂の成長に悦びを見つけよう!
それでも涙が出そうになったら、両手をいっぱいに広げて私が自分で抱きしめてあげる。
これでいい!
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