ある嫌な事が起こった場合、前に同じ経験をしたのとしていないのとでは反応が違う。特に、一線を越えた嫌な経験というのは潜在意識として深く浸透しているため、次に起こった時には、より強く反応する。そして私たちは人生の中で嫌だと思うことを何度か経験することがある。それは、起こった事の “何” が自分の心を重くしているかを見つけだし、それを乗り越え、成長するための贈り物なのである。
だからこそ、私たちは嫌な出来事をただ避けるだけではなく、観察し、自分の中の何が何に対して反応しているのかを見極めた上で、行動を決定していかなければいけない。
私はある出来事に対して自分が強く嫌悪感を抱くことに『なぜだろう?』と思っていた。癖などもあるので、ここで具体的に書くのはやめようと思う。私はこれが、ある特定の人の言動で、その人に対して特別の思いがあるから嫌悪感を抱くのかも知れない、と考えていた。
ところが、長い時間を掛け、丁寧に思い起こしてみると、似たような経験は大好きだった父との会話の中にもあった。
突き詰めてみると、私は嘘を言われるのが嫌なのだ。たとえ相手にとっては大した問題ではなくても、嘘をつかれたとわかると、怒りの感情がメラメラと湧いてくる。
何故だろう?と考えた。
なんとも思っていない人の嘘はハハハ…と笑ってスルーする。大切な人に限って問題になってしまう。もしかしたら、私は自分にとって“普通”以上の人に対して期待をし過ぎているのかも知れない。自分の中に、この人は『~するはずがない』『~をしてくれるはず』との気持ちが大きく、それからずれると、必要以上にがっかりし落ち込む。その嘘は予想以上に大きな力を持つ。
もし私が『あっ、そう。』と鼻であしらっていたら、その嘘は力を失うはず。
もしかしたら、私が信じたい人から嘘をつかれ、それに過剰に反応し、気持ちの整理に多くの時間を費やすのは、私自身が原因なのかもしれないと思った。
やってみないとわからない!
ちょっとおかしいかな?と思っても、あれこれ聞かず、『そ~なんだ~』とやってみよう。
信じたい人でもいい。親切に嘘を信じてあげる必要なんてないのかも知れない。分からないことは嘘でも本当でもどっちでもいい。『あ~そ~なんだ~』でやってみよう。
そうしたら、嘘は力を失うかも知れない。
そうしたら、私は嘘の向こうにある大切な人の本当の心が見えるようになるかも知れない。
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