障害児が教えてくれること

介護

2週間前から重度訪問介護の仕事を開始するのに先立って、所属する会社で「重度訪問介護従業者養成 統合過程研修」を受けました。
痰の吸引や経管栄養(胃などに穴をあけそこに直接栄養を流すこと)、主にALSの方を前提として文字盤を利用したコミュニケーション方法、通常の介護技術や車いすでの移動などの実習やテキストを使用しての座学がありました。また、この研修の一環として、前日に障害者当事者の方達の普段の生活や支援に関しての意見を語っているビデオを見ました。
技術的なことや障害に関しての知識は今後仕事をしていく中で、ずっと継続して学んでいかなくてはならないと感じながらも、当事者の方の語るビデオの中で一つ、大きく私の心に残った事がありました。

今から50年前の『横浜障害児殺害事件』に関して、障害者の方が語った思いでした。
昭和45年に横浜市で当時2歳の脳性麻痺の女の子が母親の手で絞殺されました。
当時、周囲の人たちはこの事件が起こって初めて一家に障害児がいたことを知りました。罪を問われる母親に対して、周囲からは「気の毒に・・・」「預けられる施設があれば・・・」との同情の声が上がりました。そして母親の刑罰の減軽のため近隣住民は署名活動を始めました。拘留中の母親に代わり、子供を預かってくれる人もいたそうです。そしてこの母親は懲役2年、執行猶予3年という減刑を受けることになりました。

当時、障害者当事者の会として既に発足していた「青い芝の会」が声をあげました。
その中のお一人が語っていました。
「障害者は殺されてもいいのか?」
「おれ、殺されたくないよ!」
ビデオの最後に研修を担当された方から質問がありました。
「横浜障害児殺害事件で子供に手をかけた母親に同情した方はいらっしゃいますか?」私は手を上げました。
「では、もしこのお子さんが重度の障害を持っていなかったとしたら、母親に同情しますか?」私はハッとしました。子供が非行に走ったとしても、人に迷惑をかけたとしても、どんなに手がかかっても、母親は子供を殺してはいけないと思いました。
それなら、どうして私は横浜の事件での母親に同情したのだろうか?
私は自分にも障害という事に対して偏見や憤りがあることに気づき、ショックを受けました。同時に障害者本人や家族の想像を超える苦悩に対して、出口の見えない悲しみを感じました。

今後、仕事を通して、障害のある方と向き合いながらもこの問題の答えが見つかるかどうかわかりません。でもこれは障害という枠の中の問題では無い気がするのです。私の周りにいる人、他人から見た私自身にも重なる部分がきっとある。そんな気がするのです。

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