傷の痛み

介護

私には大きなケロイドの傷があります。小学校一年生の時の交通事故の傷跡です。
ずっと私のコンプレックスになっていたその傷跡が初めて人の役に立ちました。

介護施設での入浴で、ある女性に会いました。彼女はリウマチ性血管炎という仮の病名で足に傷を負っていました。『仮』と言うのは、原因が特定出来ていないからです。彼女の両足は膝から下の肉が広範囲でえぐれていました。最初はシミのようだったそうですが、それが徐々にジクジクしてきて、終いには皮膚の組織が壊れ、肉が露出してきたそうです。
入浴ではその足の処置でたっぷり塗ってある薬を一端洗い流さなくてはなりません。そのために入浴の30分前から麻酔薬を足につけ、麻酔が効く頃にちょうど足を洗います。

その日私は時間を細かく逆算し、麻酔薬のついた両足に水がかからないようにタオルを巻き付け、更に防水シートを掛けました。麻酔が効くちょうど30分後に足を洗えるよう、前もって彼女の長い髪を洗い、体を洗いました。そして、30分後、彼女の足に泡石鹸をのせては流しと何度も繰り返し、麻酔が切れる前に入浴を終え、ナースに処置をしてもらいました。全く痛みなく入浴を終えることが出来ました。

彼女は全く痛みなく入浴できることを不思議に思っていました。私は彼女に自分の思いを伝えました。自分のケロイドの傷跡を見せ、事故後傷が落ち着くまでの間の数年間、病院での処置がどんなに苦痛だったか思い出しながら説明しました。
私には直接の傷の痛み以外にも、痛みを知らない医師や看護師が無造作に処置をするときの『心の痛み』が残っています。部分麻酔だけで周りの医師たちと談笑しながら処置をしている看護師を見て『何故楽しそうに笑いながらやっているの?』と子供ながらに思ったのを覚えています。
タオルをしっかり巻いたのも、時間を細かく計算したのも、最初に丁寧に彼女の長い髪を洗ったのも、全て彼女にそうゆう思いをして欲しくないという気持ちからでした。
彼女が『この痛みが分かる人が他にもいるのね。』と話してくれたとき、私も『彼女も痛みがわかるんだ』『私一人だけではないんだ』と感じていました。

他人の痛みを感じる。自分は幸せなんだと感じました。
傷の痛みだけではありません。『自分の車が7歳の女の子をひいてしまった』相手の方の気持ちも伝わってきます。自分が親になってから、『自分の子供が交通事故にあって短期間でも死に直面し、一生残る傷を負った』親の気持ちも伝わってきます。

子供の時は一生懸命に傷を隠し、ある程度大きくなってからは、他の女性のように胸の開いた素敵な洋服が着られないことでコンプレックスを抱いていました。
でも『この痛みが分かる人が他にもいるのね』という彼女の一言で、交通事故から始まった一連の嫌だった記憶が『経験できたことへの感謝』の気持ちに変わりました。

『辛い嫌だった出来事』が何十年もたって『自分を幸せにしてくれる出来事』に変わる。そして、これまでの経験は今の私を幸せにしてくれる経験だったのかも知れない。と考えると、まだまだ探せばあるような、そんな気がしてきます。

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