平日の経理の仕事と週一回の老人デイサービスの仕事に加え、重度訪問介護の夜勤の仕事が始まりました。重度訪問介護とは重度の障害を持つ方を自宅で介護するというものです。これは通常の食事の介助や排泄、着替えなどに加えて痰の吸引や胃瘻(口から食事を取れない方が胃や食道から直接液体の栄養を流すもの)の作業が要求されます。
これまで10数年、土日だけですが、ずっと老人介護の仕事を続けてきて今回初めて障害者介護をする事になりました。10年近く前に特別養護老人ホームでの就業中に痰の吸引や胃瘻は資格を取らせて頂いていましたが、昼間は看護師が行っていて実際にやる機会はありませんでした。
今回、老人介護と障害者介護は全く異なる支援であることを知りました。基本的に老人は『死』を受け入れながらも今を生きていますが、重度障害のある方は絶えず『死』への恐怖心を抱きながら生きています。つまり、生きることの意味や表現の仕方が全く違うのです。
私の担当する方は、脳梗塞のため全身に麻痺があります。口から食事をすることが出来ず胃瘻で栄養を取っています。また気管の機能が低下しているため、痰の吸引も定時で行われています。ただし、思考は鮮明で、ご自身の意思はしっかりと持っています。
私が重度訪問介護を始めて、まず驚いたことは殆ど全ての介護がご本人とご家族の希望通りに行われていることでした。ただし、良いか悪いかは別問題です。
掛ける毛布はどれにするか、顔の拭き方はどうして欲しいか、頭の拭き方はどうして欲しいか、着替えをするときの順番、これだけではありません。病気のためか、私がいた10時間の間だけでも血圧が大きく変化していました。上が80になった僅か30分後に上が180になりました。夜中じゅう、それをご本人に報告し、それに対してベットを何度に上げるか、または下げるかご本人が決めます。次は何分後に血圧を測って欲しいか。結果、あるときは15分後、あるときは30分後とほぼ一晩中血圧を測り続けました。
老人介護とのあまりの違いに最初は面食らいました。しかし、その日家に帰ってから気づきました。
『もしかしたら、自分が次の瞬間には死んでしまうかも知れない。ずっとそう思って生きているのかも知れない』
『死ぬことを恐れながら生きることは、生きること自体が恐怖になるのかも知れない』
施設にいる方は看護師や介護士に管理され、不自由な中にも安心感を得ているのだと思います。でも、自宅を選ばれている方は、自由を得る代わりに自己管理を要求されます。自由に動くことの出来ない重度の障害者はそれを介護者に要求する権利を国の制度として約束されています。私達はそれに従い、重度障害の方に如何に満足して頂くかに重点をおいて介護を行っています。
ただ、本当の要求は何だろう?本当に必要な援助は何だろう?と考えた時、布団はどれにするか、クッションはどれを使うか、血圧は何分ごとに教えて欲しいかではなく、心の中にずっと巣くっている恐怖心と如何に向き合うか。どうしたら自宅で心の自由を得られるか。ではないかと思うのです。
始まったばかりの仕事で初日は眠気との戦い、2回目は眠気を克服し流れを覚えるだけでいっぱい、いっぱいでしたが、3回目4回目・・・・・とこれからご本人と向き合っていく中で、まずは沢山の笑顔を見せて頂けるようになってから、最初に感じたこの気持ちをゆっくりゆっくりご本人と共有できたらいいな、と思っています。
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