母の苛立ち ~誰でも触れて欲しくないことがある~

家族

揉め事の始まり。

朝からの母からの沢山の助言(?)に対しての私のそっけない返事を感じ取ったのか、今度は治療で大変だからと援助を申し出てくれました。

母に促されるまま、銀行の支店を伝えると、それは遙か遠くの千葉の支店。以前一年間だけ彼と住んでいた最寄り駅にあった支店でした。
すると母は『何でこっちの銀行に変えないんだ』と聞いてきます。私は引き落としの関係で変えるのが面倒だし、こっちの銀行を開設すると時間がかかる。その為に有休を取るのが嫌なことなど説明しましたが、母は納得しません。しまいには『まだ千葉に繋がりがあるんだろう』『まだ未練があるんだろう』とまで言ってきました。

私の頭はパニック。腰痛、疲労、ひっきりなしに出る咳・・・そこへきて、母の無神経な言葉。もう我慢の限界でした。
目からは涙がぽろぽろ出てきて、『千葉に繋がりなんかない。私がどんなに辛い気持ちでこっちに引っ越してきたか知らないでしょ!』と言っていました。

すると母は当然のように、私が言わないから知らない、未練がないなら『無い』と言えばいいじゃないかと言いました。でも、今まで千葉での事を何も聞かず、彼のことを何も聞かない母は、私の気持ちを察してくれている。私は勝手にそう解釈していました。でも、もしかしたら、本当に関心が無かっただけかも知れない、とその時初めて知りました。もし前に私が、気持ちを察してくれている母に感謝の言葉を言っていたら、状況は違っていたかも知れません。

それでも『まだ未練があるんでしょ』と非難するように言った母の言葉は、私にはとても冷たい言葉に感じられました。過ぎたこと・・・今はもう、あーだこーだと言いたくありません。でも、
『誰にでも、触れられたくないことがある』『良いか悪いか他人から判断されたくないことがある』私は千葉に住んで、引っ越してきてから、それを学んできました。

そして、もう一つ。
今回の事で母の発した心ない言葉は、私も他人に発した事がある、でした。私にもそうゆう部分がある。でした。
心ない言葉の裏には、思いやりの無い、他人の気持ちを考えない身勝手な自分もありますが、自分の持っている不安のはけ口を相手に求める心理も働いています。いつもは優しい人、本当は優しい人が『心ない言葉』を発した時、それはその人の不安から来ていることを私は知っています。
母も、千葉の事を何も言わない私が、『心の中で何を考え、どうしたいと思っているのか』について不安な気持ちでいるのかも知れません。

母の気持ちを理解しようとしながらも、例え親子であっても、夫婦であっても、恋人同士であっても、無二の親友であっても『触れられたくないことには触れてはいけない』そう、強く、また改めて学んだ一日でした。

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