前回、私がこれまでに経験した『寂しさ』をブログに書いてみました。が、自分の解釈に隙間を感じ、それを埋めたくて『寂しさ』について改めて調べてみました。
様々な要因がありますが、自分が『寂しい・淋しい』状態にあるとき、その原因をしっかりと見極め、その上でどうしたらよいかを考えることは効果的だと思います。
ネガティブな状態になっても大丈夫。自分の気持ちをしっかり受け止めたら、その原因を見つけ、ポジティブに対処する事に意味があるので、1回や2回失敗したって大丈夫。やってみるだけで、自分軸の第一歩です。
まずは、寂しい理由です。
1、求め過ぎているから
2、依存心から
これは寂しいのではなく、依存して苦しい状態です。喫煙は飲酒のように「やめようと思っても禁断症状でやめられない感覚」で、恋愛にも「共依存」というものがあります。共依存とは、恋愛に依存する人と依存されることで自己価値を見いだす人との間に作られる関係です。
3、固定観念から
「周りからどう見られるか」を気にしすぎである原因から、「適齢期なのにひとり」「クリスマスシーズンなのにひとり」などの「ひとりはダメだという固定概念」をもっていて「焦りに似たような寂しさ」です。つまりは思い込み。思い込みに囚われて、自分を卑下することが「寂しさ」の原因です。
4、人生が退屈だから
自分自身の人生が満たされないと嘆いたり、虚しく思うことは、誰しもが一度は経験することがありますが、「今ある命や人生に感謝したり、感動する機会が少ないこと」や「生きる目的がない」などが原因です。
5、トラウマから
過去にあった辛い体験がまだ癒されていない原因から「いつか周りから見放されてしまう」という予期的な不安を「見捨てられ不安」といいます。「見捨てられ不安」は「対象となる人」がいます。対象となる人は、見捨てられ不安を抱いている人にとって、失いたくない、すごく大切な人なのです。しかし、対象となる人へ抱く「激しい不安」は「恐怖」にもなり、ふさわしい愛しあい方ができなくなってしまいます。
6、利己的から
今までに「無条件の愛情」を受ける機会がなかったことから「わたしは良い子じゃないから愛されない」という条件的なものをもっている原因で「愛されていないと感じて寂しい」ということがあります。利己的な愛とは「条件付きの愛」です。利己心は実は自分を守る大切な護身術ではありますが、利己心が強すぎるぶん心が寂しくなります。つまり、心から人を愛せないことへの苦しさからくるのです。
7、喪失感から
そこにあったものを失くした喪失感が原因となり「寂しい」と感じることがあります。今まで愛してくれていて、隣にいてくれた家族や友人や恋人を、急になくしてしまったりなどは本当に辛く悲しく、虚しく、寂寥感があります。
「喪失感」は、慰めるのではなく、癒すものです。喪失感を癒すためには「悲しみを感じ、流しきること」が大切で、精一杯に泣き、嘆き、心の痛みを乗り超えていくことが大事です。今までそこにいた愛しい人を亡くしたりなどの喪失感からの「寂しさ」は、代わりを探しても補うことができません。
次に心が淋しい理由です。淋しいとは『寂しい(状態)』というよりも『情緒的な感情や心情』です。
1、どうしたらよいが分からないから
具体的に「誰かがいなくて寂しい」というのと、なんとなく「誰もいなくて淋しい」という状態とでは意味合いが異なり、淋しいは「どうしたらいいか不明な感情」が原因で起こる気持ちです。
2、どうするか決められないか
愛しているけれど大切にされず、尽くしても愛されないという「淋しさ(孤独感)」があります。
相手の気持ちが変わるのを待っている状態で、いわゆる他人軸。自分がそれに対してどうするのかを決められない状態です。
3、助けてと言えないから
困っていると、助けを求めたくなります。体裁やプライドに邪魔され、助けてと言えなくて苦しいときがあります。助けてと言えないことは、苦しみに閉じ込められることです。
『寂しさ・淋しさ』は人それぞれで、他にもまだまだ沢山の理由があると思いますが、無限大の理由を探すよりも、自分で調べた中に一端当てはめ、対処法を個別に分析するのも一つかな、と思います。
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