ひとが神を忘れたとき ~八百万(やおよろず)の神~

家族

私は、”自分らしく””のびのびと” これからを生きるため、”不安がもたらす破壊を避けるため” 無条件の愛である『神』の存在を信じていこうと思う。

幼い時にキリスト教にどっぷり浸かっていた私には、これまで『神』というと、イエス・キリストしか頭に浮かばなかった。
が、数十年間、神様から離れた生活し、特に最近 様々な困難に遭遇し、問題を解決する方法や問題から自分が解放される方法、心を自由にする方法や私自身幸せになる方法などを追い求める中で、様々な国のいくつかの『神』に触れ、偏見なく受け入れられる柔軟性が芽生えたようにも感じる。

そんな中、今改めて日本の神様の凄さに心奪われるようになった。

日本の神は『八百万の神』である。800万の神がいるのではない。”8”とは”末広がり”(八)の数であり、”無限大”(∞)の意味。100万という、これもまた大きな数字と組み合わせり、とにかく『たっくさんの神がいる』という意味である。山、川、お米、肉・魚、お味噌汁にも、自然界のほぼ全てに神は存在し、お互いに喧嘩をすることなく、共存している。『トイレの神様』の話を聞いたことがある人も沢山いると思うが、私は今なお、トイレ掃除の時には『トイレの神様』を思いながら、昔聞いた『トイレの神様』の歌を口ずさんでいる。

日本の宗教である『神道』は、この『八百万の神』と繋がっている。具体的な教えや教本がなく、創始者も居ない宗教だが、基本は日本神話や古事記、日本書紀で、自然と神様は常に一体であるという考えである。宗教としての名前はなく、神道と呼ばれていてこの世界の自然には全て神様が宿ると考えられている。
また、神道では他宗教と混じった神を祭ることがあり、『七福神』などは3体が中国、3体はインドから来たもので、日本の神様は恵比寿様だけである。

つまり、日本の宗教は何でも受け入れ、外国から来た神様とも喧嘩をしない。全ての物に感謝をし、共存する。
そしてもう一つ。
仰々しくなく、親しみがある。人の生活そのもの。
何故だろう?
それは、宇宙の法則と同じ。私たちが神様から生まれて来たのを知っているから。神様の分身。私たちはそれを知っているから。

閉鎖的だ、島国根性だ、と指摘されることが多い日本の文化だが、本当は『八百万の神の国』、日本人は目に見えない神様を、ずーっと昔から、『家族』の様に愛してきた民族なのだ。

私は、今、神様に近しい民族に生まれた事を誇りに思う。だから、きっと私も毎日神様を感じて生きていけるようになる、と思う。

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