私には5~6年もの間、疎遠になっていた親戚がいました。
私達の間で諍いがあった訳でもなく、直接何かを言われて嫌な思いをした訳でもありません。彼女に子供の時から可愛がってもらい、応援してもらっていました。ただ、彼女が私に対して批判的な意見を持っていることを知った事で、以前のように私から連絡を取ることをしなくなっていました。私は、彼女が何故私を批判しているのかを理解していました。彼女の生き方とは全く違う私の生き方を受け入れては貰えないことも分かっていました。
今週末、私は母と以前行った町田市にある大きな緑地へ また出かける事になっていました。その数日前になって、突然母から彼女が一緒に行くことを聞かされました。
驚きました。そして、強い憤りを感じました。母に対してでした。『勝手に決めてる・・・』
もともと、私に対しての彼女の非難を私に伝えたのは母でした。そして、また、常日頃から彼女自身に対して非難していたのも母でした。
私は丸一日、私の中にある『本当の私』『本当の気持ち』を見つめる事にしました。
これまでの私だったら、きっと、勝手に決めた母に怒りをぶつけ、週末の予定をキャンセルしていたかも知れません。そして、『悪いのは向こうの方だ』と、その後起こるであろう事に心を痛める事もなかったかも知れません。
でも、今回は違っていました。いえ、今の私は違っていました。
『母が、あえて私達の関係を悪くするような事をするはずがない』『彼女への批判・非難を口に出す母の本当の気持ちを私は理解している』『本当の私は拒絶することを望んでいない』
数年ぶりに会った事で起こりうる全ての事を受け入れよう。ただ、私は、また昔のように楽しく一緒に過ごす時間を持とうとしてくれた母に感謝しよう。私を子供の頃から可愛がってくれた『彼女』に感謝の気持ちを伝えよう。『私が選んだ人生』に彼女が失望したのなら、期待を裏切った事をあやまろう。でも、『私が選んだ人生』で、私が経験したこと、私が学んできたことに感謝している事を伝えよう。
次の日から私の心は180度変わりました。彼女に会う前に『久しぶりに会えるのを楽しみにしていること』をメールしようか・・・。何か持って行って彼女が喜ぶ物はないかな・・・。一緒に楽しい時間を過ごしたら、これからまた、たくさん一緒に過ごす時間が増えるだろう・・・。楽しい思いが次から次に湧いてきました。
そして、当日。
私達は緑地の中を一時間ほど歩きました。
一緒に山道を歩き、吊り橋を渡り、丘の上にあるベンチに座って、母が用意してくれた水筒から温かい生姜湯を飲みました。朝早く、母が作ってくれた”ぼた餅”やリンゴの皮をむいて食べました。
丘から見えるマッチ箱のような家を見ながら、”ちっちゃい家”の中で”ちっちゃいみんな”が頑張ってるんだね~。と『彼女』が言います。
薄くなった髪や白髪染めのこと、最近物忘れが多いなど、話しをしている彼女の声が昔よりも弱々しく感じられました。”年を取るってこういうことなんだって最近わかってきたよ”と、彼女が笑顔で話しています。
私は、『来て良かった!』と心から思いました。
そして、また様々な物を発見しながら・・・林道に敷いてある茣蓙が何とも歩きやすく気持ちがいいこと、無数の大木が根元から3つにも4つにも別れそれぞれに太く伸びていること、池の上の長い木の橋を歩くときの靴の音、たくさんある木の名前がわからず『名前のプレートをつけるボランティアをしようか!』など・・・ずっとお喋りをしながら、歩きました。
『いつの時点からでも、誰でも変われる!』本当にそうなんだと思います。
全く別の人間になるのではありません。『本当の自分』はどうしたいんだろう?と考えてみることで、今までとは違う『考え』や『行動』を意識的に変えることは本当に可能で、自分が幸せになることを意識して選択することが出来ること。私達が皆、そうゆう力を持って生まれてきていることに感謝しよう!心からそう感じました。
時間が経って、今、別れ際、彼女が言った言葉を思い出しています。
『ひろちゃんが偉いなって思う事は、どんなことがあっても、仕事を辞めないでずっと続けてきたことだよ。』
彼女はずっと、私を理解しようとしてくれていたのかも知れない。
私には見えなかっただけ。『幸せ』はずっと、『私の中にあったんだな』って思いました。
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